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冬の特講で読解技法をやり続けました。百二十あまりを抽出提示しましたが、実に単純なことながら問題意識の水準や問題の見つけ方が捉えられていないと、所詮は正解読解とか概念だけで正解無限と言うだけに終ります。
これは簡単なものではありませんね。
学校やテスト適応的な読解水準でいるならいいですが、少なくとも本質的な学習へと志向するなら、何万回訓練したところで無理なのだろうと思います。ましてや昨今の浅薄な文学作品辺りを読んでも読解力、その根底としての言語理解や思考力の育成にはつながらない危惧があります。檻の中の弱った兎を捕まえるようなもの。
愕然とした感があります。素直さと中間層の一般意識を想定している水準なのでしょう。深耕読解とかやや複雑な思考には対応しきれない質を読解と称しているようです。国際学力比較で慌てふためいてるものの、まだまだ安易に前例踏襲の読解を声高に語るだけで方法化は出来ていません。
その総論的なことは前回語りましたが、今回は踏み込んで「基本問題」「問題の見い出し方」について具体的に提示してみたいと思います。
これは教育の現場現象の問題でもありますが、既に社会問題でもあります。企業論文を通して見い出した要点、社会現象の要点とも関連します。
「ビーカーの中の言語状況」が如実になってきましたね。
それと感情言語の問題。これも曖昧にしてきました。感情言語の連鎖や呼応は中間層知性では意見にもなっています。
冷静にここらで整理しておきましょう。
今回は作文事例も提示しながらお話したいと思います。春近い朦朧の時期、怜悧に、鋭角に。
しかし、あっちはチェンジで熱。こっちはギョウザ。生活者という言辞、これ漬かりすぎると要注意かもしれませんね。楽な論拠になってしまっていますね。思索者、表現者はまだ遙か、なのでしょうか。
ご友人などお誘い併せの上ご来駕をお待ちしています。
by とっちゃまん・宮川俊彦
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